相続税、所得税、法人税を、すべて無税又は軽減した事件です。
事件1
N株式会社は私が担当の会社であったが、相当期間赤字の債務超過の経営状態であり、金融機関の融資も途絶え、俗にいう町金融からも融資をうけるような資金繰りとなっていた。  ついに、破産宣告とかの法的手続きではなく、自己破産の手続きを選択して整理しました。 私はこの時の解散・清算結了を清算人として整理することとなった。町金融の借り入れものは社長の母の土地を売却して優先して返済して、銀行の金融機関には、義父の上場株式の創業者の株券を担保に差し出していたので、代位弁済をして返済をしました。
町金融のものは、債権者には改めて借用書を取り交わし、連帯保証人には実母を入れてもらい、実母の土地譲渡の所得税の申告は、保証債務履行の非課税として無税としました。
義父の所得税・相続税は別の税理士が申告をしていたのですが、義父の上場株式は、担保提供していたので、銀行の金融機関には代位弁済なので所得税は非課税となりました。
その後、義父の相続税の申告があり、上場株式の創業者の株式が漏れていると税務署が指摘を受けていると相談がありましたが、たまたま銀行から内部資料として代位弁済の証書のコピーを貰っていたので、相続財産ではない事を証明しました。
その後、N社から分離した社員は会社を興し、現在もそれぞれに会社を経営して顧問をしてお付き合いはあります。

事件2
株式会社は、大学の同級生から、取引先の相続の相談として、依頼された案件である。
S社の社長が突然、心筋梗塞で死亡したが、会社の経営も、相続をどうするか、事情把握から手掛けることとなりました。
聞くと、被相続人のS社の社長は長女がまだ小学生の子供5人を残して家出したとのことでした。それから、妻の元には一度も帰宅したことがないとの事でした。ただ、離婚はしていなく、戸籍を抜くことはなかった。
会社には娘の配偶者が就職していたので、社用車の運転手に、自宅をどこかも隠してどこか分からず、いつもここで降りて歩いて帰るとのことであったが、たぶんここのマンションと思われるとのことでした。娘婿は管理人に説明して鍵を開けてもらったとの事でした。
では、なぜ死亡したことを知ったかというと愛人が救急車の手配をしたとの事でした。
その愛人は、預かっていた個人の通帳は返却してもらっていました。
会社の経理も社長がすべて行っていたので、会社の社員は全く分からずじまいでした。
会社契約の経営者保険も、保険金収入が会社に入金となると法人税の課税もある。
退職金・弔慰金は、法人税の相当の金額と認定される金額は、相続開始時の直近の月額の役員報酬に、在職年数をかけて、功績倍率をかけて計算されます。
法人税の申告も信憑性に乏しいものが、幸いして一年前に遡って役員報酬をアップして、退職金・弔慰金を相当の額として計上して、保険金の収入を相殺した。
妻には退職金・弔慰金を支給しても、死亡退職金には所得税・住民税課税されません。
相続税においては、死亡退職金は法定相続人6人×500万控除で、3000万円控除され、弔慰金は業務外であったが、直近の役員報酬の6ケ月分(業務中は36ケ月)非課税となります。
また、離婚していなかったので、配偶者の税額軽減の適用があり、相続税はかなり軽減された。
銀行からは、相続開始時の残高証明書の交付をうけたので、その通り相続税の申告をおこなった。国税局の税務調査があり、税務職員にお願いして、職権で各銀行の口座を調べてもらいました。
税務調査時に、配偶者と初めてお会いしましたが、「子供5人残して家を出て、帰ってきたときは、骨になって帰って来た」、「息子の葬儀にも顔を出さず、骨になって帰って来た」という言葉を今も忘れない。
銀行は、実質本人の預金であっても、孫とかの名義口座は知らせてくれませんでした。
今はこのような、架空名義の口座の開設はできません。
隠れ預金が発見され、修正申告を提出しましたが、億単位の預金金額が発見された方がありがたいものでした。
この相続税の申告手続きには、失敗があり職員が書留の投函を忘れ一日遅れの期限後申告となりました。
書留で郵送するだけに封筒を用意していたが(官書受付といって郵便局の日付が申告と認められる制度・現在は通信日付印)、事務所の職員が投函を忘れていたのです。
申告期限ギリギリはやめようと肝に銘じました。
相続税は、相続開始から、10ケ月の期限内申告をしなければ、配偶者の税額軽減の適用、小規模宅地の評価減の適用、事業承継の税額免除等の適用が受けられませんので、官署受付又は税務窓口での受付のスタンプに神経を使います。

事件3
友人の依頼で顧問契約をしていた、N有限会社の女性社長は、自分の会社事務所で首を吊り、自死しました。
私には、紙封筒に会社の整理を依頼するメモと社員には、すぐ失業保険が支給されるように離職票までも残していましたので計画的な自死であった。
自殺の場合には、前年までは保険は下りなかったのですが、この保険は保険契約が一年前であれば下りるという保険の商品でした。会社契約の保険であったが一年間の経過を計算しての計画的な自殺だったのです。
会社経営、社員、家庭問題、兄弟姉妹の疲弊が重なったうえの不幸であった。
法人税、所得税、相続税の軽減を考えて、模索した。
法人税では保険金収入と直近の役員報酬をアップして、法人税法上相当の額として認定される金額の退職金・弔慰金の支給での相殺、死亡退職金は所得税・州民税は非課税となり、相続税では、夫も配偶者の税額軽減の適用があり、相続税では死亡弔慰金は業務中として直近の月額役員報酬の三年分(36ケ月)は非課税の適用、退職金の法定相続人の非課税で軽減することとなる。
顧問契約とは、相手の心の隙間にも入り込まなければならないと痛感しました。
私も、時間をとれるように、ゆとりを持ちたいと考えていますが、なかなか時間が取れません。

事件4
共有名義の居住用土地建物を所有していた夫婦が離婚することになり、離婚前に妻から夫が譲渡売買で取得すると、親族となり居住用売買の3000万円控除の適用がないこと、又慰謝料として金銭でなく不動産を移譲すると、みなし譲渡の規定で土地建物の不動産を移譲した方が所得税・住民税の負担をすることとなり、不動産を慰謝料として移譲されると同時に、所得税・住民税の負担まですることとなるので、二重に負担することとなるので、離婚の手続きが終わった後にお互い第三者に譲渡して、居住用不動産としてお互いが居住用3000(合計6000万円)万円を控除して所得税を申告しました。

事件5
M株式会社は、赤字経営で債務超過が続いていた。
同族会社であるこの会社の親族の資産家の土地を使用貸借により無償で提供しもらい、その土地に会社の工場は資産家が資金提供の借入金により建設していた。この資産家は、相続税の節税対策もしなければなりませんので、会社では、建物の資金は借入金として計上して、借入金は債務免除益を計上して青色申告繰越欠損金で無税として、資産家からすると貸付金という債権を相続財産から抹消した。土地は無償の使用貸借なので、更地評価であったが、地方の土地なので、貸付金の金額から比較すると相続税評価は安価なものです。

事件6
私が会計事務所の勤務の時、担当した顧問先ですが、有限会社Fと株式会社Fがあったが、実質的に会社経営は株式会社Fであった。ただし有限会社が土地を所有していたので、銀行の担保提供は有限会社Fとなっており、手間が大変でした。F有限会社を株式会社に組織変更をすれば、よかったのですが、この当時は非訟事件手続法という規定があり、地方裁判所の許可がなければ組織変更はできなかったこともあり、F株式会社を設立した。有限会社と株式会社の合併も地方裁判所の許可が必要であった。合併公告を官報に掲載する等かなりの、複雑さと書類の量から大変な時代でした。
有限会社F所有の土地を、株式会社Fに名義を変えることは簡単ではないのです。
低額譲渡では、株式会社Fに寄付金課税、時価譲渡とすると有限会社Fに譲渡益として課税されるので、合併することとなった。地方裁判所の許可が下り、合併という運びになりました。
その後、土地を所有していたので、工業団地進出の時には、この土地が融資の担保の基礎となって、土地の圧縮記帳をして進出できました。
この経験が、私としては他の有限会社と株式会社の合併、有限会社から株式会社への組織変更を容易としてくれました。現在は、このような合併、組織変更での非訟事件手続法は廃止となっています。
先日、ホテルでコンパニオンのコスチュームを覚えていたので、コンパニオンの人に派遣会社を聞いたら、私が有限会社から株式会社に組織変更をした会社でした。
手間がかかっても、やってやれないことはない。
法人税の計算で現在は、適格合併であれば欠損金は控除できるが、以前は合併法人・存続会社では、被合併法人・消滅会社の欠損金は控除できませんでした。俗に逆(さか)さ合併と言います。

事件7
S社は赤字経営で1億円超の債務超過が続いていたが、社長は個人的にも知人でもあり、別の知人からも顧問の依頼を受け、経理・税金の職務を行うこととなりました。
他の顧問先の下請けをお願いして、赤字解消できそうな状況になってきました、
粉飾決算で少しずつ在庫を増加して、法人税の青色申告の欠損金繰越控除を適用して法人税の負担は免れ、金融機関も債務超過でない決算書となり信用も増し融資も融通が容易となりました。現在は、青色申告の欠損金繰越控除は10年間ですが、当時は5年間です。
粉飾決算は、決して好ましいことではありませんが、他の顧問先の仕事も紹介をして業績は上昇し、税務調査も無事に是認で終わり、安堵したものです。
社長には、法人税では、「同族会社の行為否認」の規定があり、粉飾決算による在庫過大での決算・申告は否認される事もありますからとは話していても、会計、税務、法律に無知のため、私の行為は理解できない状況でした。
「厚情人の為にならず」を実感した案件でした。

事件8
J社は、事件というより逸話です。
社長は、以前経営していた会社が倒産して、金融機関ではブラックリストにあり、新設立のJ社では民間の金融機関では融資がなかなか受けられないので、最後の砦とばかりに当時の国民金融公庫(現日本政策金融公庫)の審査に立ち会いましたが、担当者から難しいと言われ立ち上がって帰る途中に、連帯保証人に私小関がなるのであれば融資しますと言ってきました。現在は、日本政策金融公庫で連帯保証人制度はありません。
200万円であったが、私の連帯保証人で融資も実行され、返済も返済期日・期限内に無事完済が出来、その後は信用・信頼が復活して、かなりの納税会社となりました。

事件9
群馬県で、かなりの資産家の身体障害者である孫が現金5000万円の贈与を受けていたが、この資産家の相続税調査があると、贈与税申告が、無申告であったので、実質被相続人である資産家の現金の財産漏れと修正申告をすることとなると、他の法定相続人が修正申告をすることとなり迷惑をかけることになると相談がありました。
通帳に振り込み日を確認したら、相続開始の3年前の一か月前であったので、期限後申告で贈与税の申告をすれば、三年以内の生前贈与加算の規定は適用がありませんと説明したら、孫の母は納得して贈与税の期限後申告をすることになりました。
贈与税額が2220万円と延滞税、加算税を支払っても、法定相続人には、相続税の修正申告を避けたということになりました。
贈与税も、身体障害者に対する障害者控除の規定があればと思った次第です。

事件10
K会社の社長は、古い経営者で、金融公庫の融資を受けるために、役員報酬の受給を少額にしてでも、法人税の負担をして、会社の利益を優先する考え方をする人が多くいました。
私に顧問の依頼があって、決算書を見た瞬間に私が発した言葉が、相続税の申告が大変ですというものでした。
内部留保されている市場性のない、換金性のない自社株は相続財産として相続税、会社の解散時に残余財産のみなし配当の所得税等の負担が大変なのです。
依頼があって数年間の時間があったので、まず役員報酬のアップをして退職金の(法人税法上の相当の額は直近の役員報酬が基準)法人税法上の相当の額として認容される退職金にするためにです。
死亡して相続開始したので、退職金を多額に支給して法人税の負担を軽減して、相続税では、退職金控除を適用して、全体の税負担は軽減したが、まだ内部留保があるので、法定相続人には、会社を承継する意思はなかったが役員報酬を支給して、内部留保が減額した段階で、解散・清算結了しましたが数年を要しました。

事件11
T会社は、不動産投資、株式投資を金融機関よりの、借入金でおこなっていたので、バブル崩壊で多額の金融負債を抱えることとなり、本来なら倒産なのですが、金融機関から債権回収機構に債務を引き継いでもらい、またその債権を入札で偶然十分の一の確率で知人のG債権回収会社がおとしたのです。実際の債権額のかなりの安価でG債権回収会社とT会社とは債権・債務の関係となりましたが、G債権回収会社は債権を放棄してくれたのです。 T会社は、青色申告欠損金が多額とあったので、債務免除益にも法人税の課税はありませんでした。G債権回収会社はT会社を引き継いでくれましたが、T会社には、青色申告欠損金がまだ多額にあり、収益のある部門をT会社が経営することとなり、最終的に余剰金が残りました。
「継続は力なり」と経理業務をしっかり行いT会社の申告を毎年期限内に行って、青色申告の取り消しがなされず、青色申告欠損金が生かされ、T会社も、G債権回収会社、破産宣告を免れた個人も皆さんが大助かりでした。
偶然、偶然が重なって解決したものでした。徳を積んでいれば先祖、神が助けてくれたのかなと感じざるを得ない事案でありました。

事件12
上場株式の発行済株式の3%以上所有する一定の大口株主が受ける配当金は源泉所得税分離課税の20.125%の適用がなく、累進課税の総合課税となるので、所得の高い納税者は最高税率のおおよそ55%の課税となるため、3%以内にする必要が生じたので、いったんオーバーする所有株式を証券会社に売却して、後日自分の経営する会社に買取取得してもらった。
配当は会社に入金となるが、法人税法上は受取配当金の益金不算入で100%課税を免れる事となった。

小関勝紀
令和6年11月30日