私が20歳の1968年12月10日(昭和43年)今から56年前に府中街道において三億円強奪事件が発生しましたが、1975年12月10日(昭和50年)に公訴時効が成立して未解決事件となりました。
当日、私は中央線国分寺駅を降りたら、警察官に職務質問を受けたが、何なのかはしらず、大学に着いて、友人に聞いたら三億円強奪事件があった事を知りました。
国分寺市の日本信託銀行から、府中市の東芝工場の社員の賞与を支給するための現金が強奪されたのです。犯行現場、逃走現場は、国分寺市、府中市、小金井市が舞台でした。この当時は、給与は振り込みでなく、現金で支給していました。
1968年はベトナム戦争の反戦活動、佐世保市にアメリカの原子力空母潜水艦エンタープライズ号が寄港するための阻止運動、10.21国際反戦デーの新宿騒乱罪事件、70年安保闘争と学生運動が過激となり激しい時代でした。
水俣病の公害認定、小説家の川端康成さんがノーベル文学賞の受賞、小笠原諸島の日本復帰、十勝沖地震発生等変動の年代でもありました。
府中市には、現在は東京競馬場がありますが、武蔵国府跡、大國魂神社と武蔵国の中心にあり、武蔵の国府の中心地だから、府中という地名となりました。
因みに、武蔵国の西だから西武、武蔵国の東だから東武となっています。
武蔵国とは、現在の三多摩、埼玉県、神奈川県の一部からと広範囲であり、武蔵境駅は武蔵国と江戸の境なので、武蔵境駅という名前になったとの事です。
国分寺とは、大化の改新後の奈良時代の741年聖武天皇(しょうむ)が、仏教による国家鎮静のため、全国に国分僧寺と国分尼寺の建立を命じたお寺です。
国分寺があるので、国分寺市という地名となりました。
国分寺市にある、国分寺の建立された場所は、文献によると四神相応の地として、以前見学した明日香村にあるキトラ古墳の壁画に描かれていた方位からと知り、玄武の北、白虎の西、朱雀の南、青(蒼)龍の東(注1)から建立されたとの事です。
東に清き流れのある青龍、南が広く開けた湿地帯の朱雀、西に大きな道が続く白虎、北に高くそびえる山がある玄武と、武蔵国分寺が建立された場所は、この条件にある武蔵野丘陵は当てはめて建立されています。
徳川家康の東京の江戸城、桓武天皇の京都の平安神宮も四神相応の地とした位置、場所によりますが下記(2)を参考にしてください。
令和6年4月30日付でキトラ古墳ことはブログで記載しております。
明日香時代は、聖徳太子の仏法の布教が影響されていたことを、実感しています。
武蔵野線が開通したので廃線となった、「下河原線」という支線があり、国分寺駅から、東京競馬場前駅までの日本国有鉄道(現在のJR)がありました。この下河原線に乗り、東京競馬場(=府中競馬場)に北海道様似町の子供の頃に遊びに行っていた生産牧場が生産した、輸入馬のサラブレッドの繁殖牝馬であったキャツスルという子供のケンサチオーが活躍していたので、応援のために行っていました。この頃より、サラブレッドの関りがあり競馬には興味がありました。
先日、国分寺市にある母校の寄付者の感謝の集いがホテルオークラであり、学長、理事長、OB会会長、先輩、後輩と懇親を深めたばかりで、この国分寺市、府中市、小金井市の地区で青春を送っていたころが懐かしく今回はこのテーマとなりました。
 今、この文章を書いている時、丁度同学年の俳優の西田敏行の逝去のニュースが流れてきて、私の青春の時代を思い出す三億円強奪事件、学生時代でした。
 私は自己紹介するとき、出身地を北海道様似町といっても分からない人が多いので、襟裳岬(えりもみさき)のところ近くですと言うと、森進一の「襟裳岬」の歌詞に「えりもの春は、何もない春です」とありますが、襟裳には本当に春がないのですかという、質問を受けたとき、咄嗟(とっさ)に春はないが、「青春」はありましたと、返答したら受けたことも、思い出しました。
 この頃は、様似町の観光大使の名刺を差し出して、名刺に地図が書いてあるので様似町の宣伝をしています。
ああ、あれから57年。いつも、自称青年の48歳(1948年生)です。
令和6年10月31日
小関勝紀

(注1)
        色   方位    地勢    季節
玄武      黒    北     山     冬
白虎      白    西     道     秋
朱雀      朱    南     沼     夏
青龍(蒼龍)   青    東     川     春

(2)
徳川家康の江戸城は、江戸の邪気を払い、繁栄をもたらすため、四方の山や川などの地形を四神と見立て、四神相応の地になるように地形を調査して築城したと言われています。
東(青龍が宿る川)=隅田川
南(朱雀が宿る平野・潟)=東京湾
西(白虎が宿る大道)=東海道
北(玄武が宿る山)=麹町・駿河台地
さらに、鬼門北東の上野に寛永寺、裏鬼門に芝に増上寺が配置され、徳川家の菩提寺として祀られました。

平安京の平安神宮
東=青龍=鴨川=八坂神社
西=白虎=山陰道=松尾大社
南=朱雀=巨椋池(おぐらいけ)=城南宮
北=玄武=船岡山=上加茂神社