法人格というように、法人も人格があるのだから、別の人格を認めて会社運営を進めてくださいと説明しています。
法人格といっても、上場企業、中小企業、医療法人、社会福祉法人、社団法人、財団法人、宗教法人、協同組合等数々の形態の法人があります。
今回は現在の新会社法の改正前の旧商法時代の、主に中小企業の株式会社の話題です。
事件その1.
ホテルニューオータニでの、馬主協会の忘年会に出席した際に、コンパニオンのコスチュームになじみがあったので、このコンパニオン派遣をしている会社は、K会社ですかと、コンパニオンにたずねたら、やはり私が以前組織変更を依頼された会社でした。
このコンパニオン派遣の会社を有限会社から、株式会社への組織変更の手続きを無事完遂したことがありました。
1980年当時は、有限会社を株式会社へ組織変更、又は有限会社と株式会社との合併には「非訟事件手続法」(現行廃止)という法律があり、地方裁判所の許認可が必要であったため、書類の作成が煩雑で大変な時期がありました。現在の新会社法では簡単な登記です。
私がK社の有限会社を株式会社にするための、組織変更手続きに関わった会社が、継続して成長しているのに偶然遭遇した事は、大変うれしく思いました。
事件その2.
F社は、私が勤務していた会計事務所で顧問を担当した会社ですが、同一の代表取締役の有限会社Fと株式会社Fと二つあり、土地と建物の不動産だけが休眠状態の有限会社Fの所有となっており、実質会社経営、決算、税務申告は株式会社Fとなっており、煩雑な思いしておりました。
土地、建物の所有が有限会社Fなので、株式会社Fの銀行借入の際には、担保提供を有限会社Fが抵当権設定登記と煩雑、二度手間となっておりました。
土地だけでも、売買で有限会社から株式会社へ移転することも検討しましたが、その実行には土地売買は、時価となりますので有限会社Fに、また時価より低額な売買は寄付金課税とし株式会社にF株式会社に多額の法人税を課税負担しなければならず合併をすることとなりました。
当初に土地、建物の所有していた有限会社Fを組織変更すればよかったのですが、この非訟事件手続法があり、地方裁判所の許認可という煩雑な手続きがあるため、前会計事務所は別に株式会社Fを設立してしまったのでした。
そこで、私は有限会社Fと株式会社Fの合併には非訟事件手続法に従い大量の書類を作成し、地方裁判所の許認可を得て合併したのでした。
この当時、有限会社より、株式会社と希望する背景には、やはり設立時の株式会社の最低資本金1000万円、有限会社300万とあり、また実際に資本金を払込銀行の保管証明書が必要でした。
ネームバリューも有限会社より、株式会社にありました。
また、設立時の発起人として株式会社は7名、有限会社は1名が必要であり、人数からしても格差がありました。
現在は有限会社の設立はできませんので、有限会社が社歴のある格上と言っても過言ではありません。
この当時、民間人には「会社設立代行」しますという、広告がありましたが、会社設立時には、資本金を「見せ金」として立替をして銀行の保管証明書の発行を受け、また発起人としても名前を貸すというものでした。
会社設立登記に「見せ金」を使って資本金額を増やす行為は虚偽の資本金額で会社設を行うことになり、「公正証書原本不実記載等罪」に問われ、5年以下の懲役または50万以下の罰金を科せられるおそれがあります。
別の会社の事件ですがFF会社はたまたま急成長しましたが、このFF会社の設立時に7人の発起人として依頼した人が、定款に発起人として名義株の1株の株主となっている主張し、裁判となるが、敗訴して、1株50,000円を、1億円の相対取引で名義株主個人と実質株主個人は買い上げたという事件がありました。
名義株は、契約書等とかの念書を交わすとかして早めに解決しなければなりません。
この当時は、簡単な有限会社設立が多発した背景には、「法人なり」で法人組織にして、役員報酬として、経費として個人は給与所得とした方が節税となるということにありました。
会社組織とすると、待望の「社長」と、皆に呼ばれる優越感もあったかもしれません。
事件その3.
I会社に知人が、友人のI会社に増資するので、その会社の登記を依頼され、増資払込金の銀行から、保管証明書を発行してもらうために行ったら、すでに知人が新株発行増資金として振り込まれた金額は、I会社が支払いに使い込み、残高不足で発行されず、結局私が「みせ金」として立替え、保管証明書を発行してもらい登記は完了した。
その際、保管証明書を発行してもらう銀行は、また経費の支払いに使い込みされたら大変なので、S都市銀行丸の内支店に依頼してもらうこととしたが、その手続きの約束の時間ギリギリということもあり、乗ろうとしている電車を追いかけて道に下に自転車のスピード防止の杭があるのに気が付かず上の電車見ながら走り、つまずき雨で濡れていたアスファルト舗装の道路で一回転して転倒してメガネも靴も鞄も吹っ飛び、右肩を打って脱臼して、今でも後遺症に悩まされています。
この時、転倒事故後に銀行には約束の時間には間に合いましたが、偶然に東京丸の内の地下で、知人と会いましたが、転んで洋服は汚れ、肩を脱臼していたので、書くことも、印鑑を押印することもできず、事務所の職員に来てもらって代筆、押印をしてもらいました。
知人の株主地位確保もあり、知人が増資に応じて金を振り込んでいなければ、急いでやることはなかったのにと思っております。
この会社の社長の制作した動画が売春法違反で刑事告訴され、実刑判決を受け収監されました。当然倒産しました。
事件その4
J会社は、代表者が一度倒産して、その後に代表者が会社を設立した会社です。当時の国民金融公庫に融資を申し込み、その審査に私も立ち会いました。
現在も一度倒産して破産宣告を受けている者は、ブラックリストに載り、金融機関の融資、クレジットカードの発行はなかなか大変なのです。
当時の国民金融公庫(現日本政策金融公庫)は、連帯保証人がいなければ融資が受けられない時代でした。
当時の融資担当者が、私小関が連帯保証人になってくれれば、融資は実行進めますとのことになり、私は連帯保証人になり融資は実行されました。
国民金融公庫は、現在は日本政策金融公庫となり、連帯保証人は不要となっています。
現在は、そのJ会社の監査役に就任しておりますが、法人税の支払いの負担も多い会社となっております。
事件その5
NS会社は女性社長であったが、身障者を雇用するような優しい人であったが家庭内の不和等もあったのか、社内で首つり自殺しました。
女性社長本人は従業員には、失業保険の申請書類、私には法人契約の生命保険契約書まで用意してありました。
その当時の以前までは、自殺は保険金はおりませんでしたが、契約一年後は自殺も保険金がおりるようになるという契約変更があったのです。
多分社長本人は計算したように丁度一年前の契約の保険なので、会社に保険金は入金になりました。保険金の入金は、会社は収益で法人税課税が発生するため、直近の役員報酬をアップしたとして、退職金、弔慰金と経費計上して法人税法は免れ、遺族には支給しました。
法人税法では、退職金の不相当に高額として課税されるため、形式基準では直近の役員報酬をアップして免れました。
何故、退職金と弔慰金と別々としたかは、相続税の財産として退職金、弔慰金は課税されます。退職金は法定相続人一人500万控除、弔慰金は直近の役員報酬の6ケ月の控除を適用するためです。
私には遺言書ではないですが、メモでの伝言で後の整理は、よろしくお願いいたしますとありました。
事件その6.
S会社は、知人の弁護士から私も増資の応募を依頼され、また顧問となった会社ですが、一般に新株発行の増資を募り、投資家から振り込まれた金額を、支払いに使い込み、預金の 残高不足により保管証明が発行されないので、投資家から訴訟され、刑事告訴され収監されたという人がおりました。
この人には、増資登記をしなければ、出資法違反で刑事告訴されますと、さんざん忠告はしておりましたが、登記が実行されず、出資者から告訴され警察の取り調べをうけ、裁判で実刑判決をうけ収監されました。最後に会社は倒産しました。
事件その7.
N会社は、父が経済ヤクザみたいな人との、付き合いもあったようなので、N会社の解散.清算結了の登記を依頼されて、登記も完了して、ホットしていたが、後日会社を復活させる、継続登記をした者がおりましたが、その後はどうなったかは不明です。
継続登記が出来るくらいだから、かなりの経済ヤクザです。
事件その8.
E社は、上場企業の創業者から、出資してもらい、会社を運営していたが、この社長は出資金は、収益となる勘違いしており、売上金を確保するとかの経営努力がなく、経理能力もない会社にどうして出資したのかは不明である。
上場企業の創業者の秘書なる人が、定時株主総会に出席するので、決算報告書を作成して、株主総会にも、私はオブサーバーとして出席することを義務づけられました。
上場企業の創業者は、相続財産に有価証券として、市場性の価値のない株券に課税されるので、清算結了してくださいとの依頼もあり、解散後清算結了することとなった。
事件その9.
運送会社Y社は、倉庫業・長距離運送会社を経営していた、ガソリン代を手形で支払うくらい資金繰りは悪化していた。
破産の申し立ての手続きを依頼されましので、後輩の弁護士との共同作業ですが破産の申し立てをすることとなった。破産の申し立てには、供託金を積まなければならないので、従業員の給与を充当しなければならず、従業員には給与支給が遅延するので、すぐ失業保険の手続きができるように申請書の準備もしなければならなかった。
また会社の社員が退社後に書類準備しなければならないという、夜中に犯罪者のように隠密で申請書類の準備を進めなければならなかった。
私が裁判所に破産の申し立ての書類が受理された旨の張り紙を貼ったら、大混乱となり、倉庫に預けている会社からは、倉庫にある商品の取り次ぎ騒ぎ、従業員、債権者、自分の車両で委託されている庸車業者で、会社の窓ガラスは割る等で大混乱となりました。
その後、なんとある会社が破産の申し立ての取り下げをしたのです。
このY会社は、長距離の運送の許認可を有していたので、破産の申し立ての取り消しの背景には、その許認可を取得したかったのです。
この当時佐川急便が、宅配を始めた時代であり、運輸省が長距離の運送業の許認可を下ろす事を制限していた時代です。
現在ならば、M&Aとかで、営業権譲渡、合併とかの検討も出来たと思われるが、個人破産、会社の破産の申し立てには、世間的にも抵抗のあった時代です。
結局、I社、S社、N社、E社のような会社ごっこをやっているような、会社は倒産するということです。
日本の経済は企業の社会的責任、コンプライアンス、SDGsも、無関係な中小企業の法人成りの閉鎖会社が経済の二重構造から成り立っているのです。
令和6年1月31日
小関勝紀