この時期は新米が送られて来るので、いつも毎日朝は発芽玄米を主
食にしていますが、久しぶりに白い、艶のある新米を食べると日本人
を実感します。

北海道は、現在では美味しい米を生産していますが、子供の頃の米は
バサバサとした、不味い米でしたが、新種改良で今では北海道産の
「ゆめぴりか」とかの美味しい米なので、送ってくださいとお願いするくら
いです。

日本での水稲農耕の生産は弥生時代といわれているが、縄文時代に
は始まっていたと言われている。
日本の歴史と文化は、稲作文明という米が育んだとされる。
雷は、「神鳴り」といって神様が鳴らして音で、稲妻は電光として光であ
り、稲が稲妻によって霊的なものと結合、窒素が雨に溶けた結果、雷
の多い年は豊作になり稲穂が実ると考えられていた。昔は稲夫が稲妻
となったとの事ですが、「夫」より「妻」が強いものです。

「米」という漢字は、上からよんでも、下からよんでも十八(※1)の重ねた
ものからなっているという説がある。

江戸時代、徳川幕府は米を経済の中心とする体制を築き、幕府は各地
を治める藩を米の収穫量によって、「加賀百万石・加賀藩」というように
格付けした。

以前、飼い犬の「テツ」との散歩は、車で田圃のあるところに行っていた
ので、稲作の一年の工程を見る事があり、土作り、種・苗、田植え、管
理と除草、追肥と水抜き、収穫・乾燥とある事を知りました。田圃の準
備の具体的な工程は、田起こし、畦塗り、基肥、入水、代搔き、苗作り
の工程は、種籾準備、苗代準備、播苗、育苗とあり、田植え、管理の工
程は水管理、追肥、雑草防除、病害虫防除、収穫、乾燥、脱穀とあり、
季節を味わう事が出来ました。

おおよそ3000年前の水稲耕作技術の導入により、開墾や用水の管理
などに大規模な労働力が必要とされるようになり、集団の大型化が進
行されると、大型化した集団同士の間には、富、耕作地、水利権などを
めぐって争いが発生する。
この争いの集団の統合・上下関係の進展のために、武士が誕生した
のではないでしょうか。この武士が領土争いをして現在の日本が誕生
しています。
縄文時代のイノシシ、鹿、動物、魚介類、木の実などを採って生活す
る移動をした狩猟生活から、米は連作可能・乾燥保存可能なので、
その土地に定着する協同作業としての共同集団が里・村を形成した
里山となります。この村落が村一つにまとめる媒体が神社であり、五
穀豊穣を願う儀式が新嘗祭等の収穫を祝うお祭りではないでしょうか。
私見ですが、神社は八百万の神々として崇拝したのが、神道の発展
へと繋がったものではないでしょうか。
学生時代の財政学の試験問題に、「財政の硬直化」という試験問題
がありましたが、回答は食料管理特別会計(コメ)、政府管掌健康保
険(ケンポ)、日本国有鉄道(コクテツ)のコメ、ケンポ、コクテツの頭文
字から3K問題というものでしたが、1970年当時は農業維持あり、米
の買い上げが財政を圧迫していたのです。
備蓄米、古米、古古米の不良在庫が多く発生しました。
戦後の食糧難から、食糧管理法による政府の固定価格買取制度で、
「闇米」が横行したが、闇米を拒否した東京地裁の判事の山口良忠さ
んが餓死するという事件があった事を思い出します。

日本はパン食等の移行から、日本人の米離れから古米の余剰米か
ら、食料管理特別会計の財政圧迫もあり、生産調整から減反政策が
とられ田圃が荒耕作地となりましたが、水稲耕作技術は伝承できな
くなり、自給自足が出来なくなったら食料自給率は維持できなくなり
ます。
農業は、agricultureというようにカルチャーなので経験のない素人で
は農業はできません。
江戸時代、人口が一番多くいたのは、江戸ではなく、米作り稲作を
していた越後の国といわれています。

2013年にユネスコ無形文化遺産に登録された「和食・日本人の伝統
的な食文化」は、ごはんと昆布だし、かつおだしの出汁文化の「一汁
三菜」ですが、米は米麹から、味噌、醤油、日本酒、味醂、酢を作り、
煎餅、餅と多彩な食生活の原料を形成しています。
高校時代の地理で北イタリアでは、米が収穫されていると学びました
が、それがリゾットという食べ物でした。
アメリカ合衆国は、米国というから主食が米かと思っている人がいる
かも。
でも、戦後アメリカは小麦戦略によりメリケン粉が大量に輸入され、
「米は太る」、「米を食うと馬鹿になる」と流布・風潮から、日本人の食
生活は、米離れが進みパン食へと移行しました。
またこの時代は、「味の素」を食べると頭が良くなると、なんでも味の
素を振りかけた事も思い出します。
米を貯蔵保管する、蔵から、財務省の前の呼び方は大蔵省というよ
うに、奈良時代の租庸調が税金の始まりですが、租は米、庸は防人
の労力、調は布で納めましたが、租の米を貯蔵保管する蔵から大蔵
省と言っていました。
司馬遼太郎の「菜の花の沖」で、海水で米を炊くと塩気があり、大変
おいしいとありましたが、今でも試みたことがありませんが、ためして
ガッテンです。
ゲノム編集の村上和雄さんはイネゲノム解読からイネの遺伝子暗号
解読へ挑戦して、米の遺伝子から、サムシング・グレートとしてやる気
スイッチを発見したと、本人の講演会で聞いたことがあります。
長岡藩の藩士小林虎三郎の米百俵の逸話も米の話です。
1918年7月22日富山県魚津市の米騒動が、発生したのも米は旧十二
銀行の倉庫に保管して、船への積み込みを襲った事件もありました。

「立って半畳、寝て一畳、天下取っても二合半」という諺がありますが、
出世し天下を取っても一食に「二合半」ほどの米を食べるのが限界で
あるので欲張るなという戒めです。
米の単位は10倍をして一合、一升、一斗、一石となる。単位のとして、
一斗缶を想像してください。その10倍が一石です。江戸時代、
徳川幕府は米を経済の中心とする体制を築き、幕府は各地を治める
藩を米の収穫量によって、「加賀百万石・加賀藩」というように格付けした。


脚気(かっけ)は、ビタミンB1不足が原因でありますが、米の精米で胚
芽部分に多いこのビタミンB1を取り除いて白米を好んで食べことが
原因とされている。

日露戦争で、軍医・小説家の森鴎外が、この白米の「脚気」が原因で
あること頑固に否定して、戦死した兵隊よりも、白米を食した兵隊が
脚気で死んだ兵隊の方が多かったと聞いた事があります。
「結核」と「脚気」は二大国民病といわれるくらい深刻なものであった
と聞いております。
藁は、稲の茎を乾燥させたものですが、草鞋、しめ縄、土俵の形と利
用される。
日本には、「藁の文化」といって藁細工や、藁を使う行事が沢山あります。
「溺れる者は藁をもつかむ」だけは、これからは経験したくありません。
私も年齢から新米ではありませんが、もう古古米です。

令和5年10月31日
    小関勝紀

(※1)十八とは 「大無量寿経」に説かれている四十八願の中の第十八
番目の「至心信楽の願」を言うものとの事。「弥陀の本願」の「弥陀の
十八願」から、また茶摘みは夏も近づく八十八夜と立春から八十八日目
とか、空海さんの四国八十八か所巡礼とか、お茶の「茶」の漢字も分解
すると十と十の八十八108の除夜の鐘、十八とはそのような意味があ
るといわれる。
「おはこ」を漢字で書くと「十八番」と書きます。
野球のエース背番号は18番の由来もこのことらしい。