前月ブログは生まれ故郷の様似町の事を報告しました。
今回はサラブレッドの事をテーマとしました。サラブレッドとは、
「Thoroughbred」と純血という意味の競走馬です。
1923年(大正12年)に競馬法が制定されて競馬法100周年記念として、
JRAでは各種イベントが今年は行っております。
競馬法施工後初の競馬開催が大正12年8月24日から26日と札幌競
馬場で行われたとの事です。大正12年9月1日は関東大震災のあった
年から100年目といわれていますから、このすぐ後に関東大震災が起
こった事ですね。
世界のサラブレッドの三大始祖とは、ダーレーアラビアン、
ゴドルフィンアラビアン、バイアリータークにさかのぼります。
現在は、北海道日高地方は、競走馬サラブレッドの95%以上を生産し
ています。
生産牧場の生業は、繫殖牝馬を抱え、種牡馬との種付けをして、出産
後子分けとして販売するまで育成して、セリ又は直接庭先で販売します。
生産牧場は馬房、広い放牧地、牧草地を所有していなければ、維持
継続はできません。
繫殖牝馬の発情を促すために、「当て馬」を用意したり、冬は馬体が
冷えないようにカッパを付けたり、馬房を夜も明るくするとか、勿論体
調管理に気を配り、種牡馬を選定します。
種牡馬には、活躍した馬により、種付料が千差万別で、因みにディープ
インパクトの晩年の種付料は一回4000万円となっていました。
人工授精は無効ですので、種付場まで輸送して種付けをします。
現在高額とされる種付料はキタサンブラックの1000万円です。
北海道日高地方で生産牧場を始めたのは稲田藩から、蝦夷地を与えら
れた淡路島出身者が多いとされ、「北の零年」という映画に描かれてい
ます。
生産牧場とのかかわりは、幼稚園、小学生低学年に、私の家にいたお
手伝いをしていたRさんの嫁入りした先が、サラブレッドのM生産牧場で
働いていた人のところでした。
そんな訳でM生産牧場に小学生の頃に夏休み、冬休み、春休みになる
と三日間以上は、泊りで遊びに行きました。後にこのM牧場を知人のT
牧場が偶然にも買い上げたのだから、時代の流れを感じます。
そのM生産牧場は、山奥にあったので昆虫の宝庫で、見た事がないクワ
ガタ、蝶々、蜂、バッタを採取したり、田植え、牧草畑の刈りの手伝いと町
では経験できないものでした。
馬の輸送は、現在は馬匹車での陸路の輸送ですが、生産牧場から厩舎
の調教師のところまでは高速道路が発達していない時代には鉄道での
貨車輸送で、青函連絡に乗り換えて京都までは三日間はかかり、人も馬
も大変なストレスの負担で輸送したのです。サラブレッドは立ったまま輸送・
寝ます。
他にも同級生、知人の生産牧場があり、子供の頃より馬は身近にありま
した。
生産牧場での誕生、子分け、育成牧場での馴致(じゅんち)、調教師で調
教管理、放牧牧場での管理とそれぞれの役割分担でレースに向かいます。
競馬は、JRA(日本中央競馬会)、地方競馬とあり、JRAの競馬場は、東京、
中山、京都、阪神、中京、福島、新潟、小倉、札幌、函館と10競馬場から
成り立ち、地方競馬場は南関東として大井、船橋、浦和、川崎の4競馬場
からなり、他に地方競馬場として門別、水沢、盛岡、笠松、名古屋、園田
と他にも多数あります。
生産牧場で働く人、セリ業者、飼料生産・販売者、競馬場の維持管理・内
部で働く人、調教師、厩務員、騎手、馬主、放送関係者と色々の関係者
で成り立っています。
経済効果としては、放送関係、輸送業者、関係者の移動する交通費、建
築業者、出版社と色々あります。大井競馬場は、東京都が運営していま
すが、美濃部都知事の時代に廃止すると発言した経緯がありましたが、
はっきり言って経済の仕組みが解っていないからの発言です。
会計事務所に勤務したとき、たまたまTさん所有のアリオーン号の馬主の
申告をする機会があり、その厩舎がH調教師で、収支明細を依頼したの
が、H厩舎で働いていて偶然にも様似中学の2年先輩で知人でした。
JRAのレース中に、落馬事故により、命を落とした様似町出身のO騎手
の両親は偶然にも子供の時、遊んでもらった人なのです。このO騎手の
墓参りに様似町まで来ていただいているT騎手が、先日私の所有馬
ジオパーククラウン号に騎乗してもらったのです。
今馬主となって、調教師、騎手、馬主仲間、馬主協会職員、牧場家族と
広い交流の輪が広がっています。
事務所の側の、上野不忍池で上野不忍池競馬は、1884年(明治17年)
から1892(明治25年)まで馬券は発売されず、鹿鳴館ともいうべき祭典
で明治天皇をはじめ華族、政府高官や財界人を含む多くの観衆を集
めて華やかに開催されたとの事でする
馬名の冠名に「ジオパーク」とつけているのは、様似町がユネスコ世界
ジオパークから、命名しています。また、所有馬は様似町の生産牧場
から入手することに拘っています。
日本のディープインパクトの子のオーギュストロダンが、英国ダービー
で優勝するほど、日本の競馬は世界の競馬になっています。
私の近年の心境は、「驥(き)は老いて攊(れき)に伏すとも志(こころざし)
は千里に在(あ)り」。
言い換えれば「老驥攊(ろうきれき)に伏すとも志は千里に在り」三国志
曹操の言葉です。
駿馬は年老いても故郷を思い千里を走ろうという気持ちを失わないと
いう意味です。私は競馬場巡りで、南は小倉、北は札幌と千里を目指
します。
どこの馬の骨は分からない私より、サラブレッドの方が血統・血族はしっ
かりしています。
サラブレッドの血統書が無ければ、レースには出走できません。最初
に命名した名前の変更はできません。日本の馬名は9文字以内です。
「馬の耳に念仏」、「馬耳東風」ではなく、これからはよくよく聞いて理解
に努めます。
「泣いて馬謖(ばしょく)を斬る・諸葛孔明の言葉」との馬謖は人の名前
ですが、馬食とばかり馬肉は供養で食べています。
令和5年8月31日
小関勝紀